フリーソフトウェア・プロジェクトに参加していないことの言い訳について、という話がにわかに盛り上がっているようです。はじまりはおくじさんの日記で、学生にフリーソフトウェア・プロジェクトに参加したことがあるかと問うと、時間があり余ってるのに「時間がないので」という答えが返ってくる、でもそれはうそで本当のところは、
じゃあ、本当のところ何なのかと言うと、単なる意志の欠如だ、と話していたのです。かなり高い確率でそうだと私は信じていますが、一方で新たな疑問というか、納得しきれないところもあります。
という話になり、でもフリーソフトウェア開発に関心がありながらも自発的にやらないのは何でだろう?という疑問に対してエネルギーの問題じゃないかと書かれています。これに応じて、まつもとさんは「それより大きいのは敷居かなあ」と述べている。
その辺も理由のひとつだとは思うのですが、僕は一番の理由はそこじゃないと思っています。
ここではフリーソフトウェアに焦点が当てられていますが、例えばもう少し焦点を移してオープンソースのソフトウェアに移してみて考えてみた場合、自分が書いたソースはひとさまに見せられるようなものじゃないから、とか、自分が知っている範囲の技術では貢献できそうもない、といったところが大きいんじゃないかなあと。
と、こんなことを思っていたら結城さんが同じようなことを書いていました。
ふむふむ。「意志の欠如」もあるかもしれないけれど、「自信(もしくはセルフイメージ)の低さ」もあるのではないか、と結城は想像しています。つまり「自分なんかがプロジェクトに参加しても、ほかの人の役に立つような活動はできないよ…」という気持ち
自信の低さというのはまさに僕が感じていたものです。あるいは実績不足や経験不足。実績や経験を積むための最初の一歩が難しい、という意味ではまつもとさんが言う「敷居が高い」に近いのかもしれないですが、実はこの最初の一歩の敷居は全然高くなくて、踏み出してみたらあれよあれよ...という程度のものだったりするんですよね。
僕はいわゆるフリーソフトウェアに相当するソフトウェアだと、Perlのモジュールやそれにまつわるパッチ程度でそんなにたいしたものを作ったことはないのですが、個人でウェブアプリケーションによるサービスを提供するというのも一つのフリーソフトウェアみたいなもんだと思っていて、その初期の頃にこの「自身の低さ」みたいなものを感じて、すごく気にしていたような気がします。
そこに至るまでほとんどが独学だったこともあり、果たして自分の実装は正しいのかとか、こんな書き方のソースコードでいいのかとか、インターネット上で動かすことで人様のサイトに迷惑をかけたりしないのかとか、そういうことを考えるとなかなか一歩を踏み出せないものでした。でもやってみると、案外自分の実装は間違いじゃなかったりして、むしろ仕組みやサービスを公開することで、それまで気づかなかった色々なことが見えてきて、それを直したりしているうちにどんどん品質が上がっていきました。そんなことをしているうちに、品質があがると共に、自分が一緒に成長してることに気づきました。
なんというか、アウトプット主義というか。
この手の話では、高林さんが面白いことを書いてます。作品をよく見せるためのお手軽なテクニック集という文書です。ここの、作品の公開のセクションです。まだ読んでない人はぜひ一度読んでみてください。作品を公開しないということよりも、公開することがどれだけプラスになるか、というのが分かるかもしれません。そして、公開するということは、物怖じするほどのことではないし、ほんのちょっとした手間でしかないということも暗に示されています。
そういえば、高林さんは Namazu を作ったばかりの当初はコードもしょぼくて人に見せるのが恥ずかしいような代物だったが、勢いで公開したらあれよあれよといううちに...ということをよく話しています。面白い話です。
その一歩を踏み出せるかどうかが、もしかしたら適正とか才能とかなんじゃないかという見方もあったりするのですが、そんな評価はだいたいが後付けなんだと思います。つまり、優秀だからすごいソフトウェアを作れたのではなくて、ソフトウェアがその人を優秀だと見せてているのであり、そこにはそんなに大きな壁はないのだと気づくことが大事なんじゃないかなあ、と思います。高林さんの文書に「作品を公開している人は評価される。過大評価されることも多い 」とありますが、まさにその通りですね。
結局なにが言いたいかというと、自信がないひとでもとりあえずやってみるといいし、すると周囲を取り巻く環境も色々変わるかもしれませんね、ということです。