サイゾー を読んでいたら、大きなニュースの裏にまぎれて本当に大事なニュースが十分に報道されていないこと対する懸念みたいな記事がありました。くだらないニュースにより大事なニュースが葬られていると。訪朝した際拉致被害者の家族は何を食べたとか、だれだれが年金未納だという影に隠れて云々。
これが起きる原因としては、情報を流される側が不利益な情報はメディアが飛びつきそうなニュースがある横でタイミングを合わせてこっそり流すという情報戦略みたいなものも絡んではいるようですが、そもそもの原因は視聴率至上主義のテレビ局の体質に依るところが大きい、とのことです。
政治関連の話、戦争関連の事件でも難しい法案や複雑な事情が絡んでくると一般の視聴者にとってはとてもわかりにくい内容になってしまう一方でやれ年金だなんだというニュースは放送すると視聴率を手堅く稼げると。で、そんな視聴率主義の体質を批判。
でも、テレビ局もサラリーマンの働く一企業なわけで、企業体として利益が極大化する方向に重きをおく価値判断基準を採用するのは至極全うな話であって、単純にそのあたりを批判するだけではあまり建設的な解決策はみられないように思います。メディア責任、放送倫理などいろいろあるのでしょうが。
このあたりはテレビが受動的かつ商業基盤としての視聴率という仕組みがある限りしようがない話であり、むしろそこはそういう構造によって成り立っているメディアであると割り切らせて、オルタネイティブとしての情報源 - インターネットやその他もっと能動的なもの - にも価値があるのだと啓蒙するほうがよいのではと思います。
たとえ批判により体質を変える方向に動いたとしても、その動きは亀のように遅いことは目にみえています。企業に根付くプロセスや価値基準を変更するというのは、容易なことではないです。10 を 11 に変えるよりも、0 を 1 にするほうが目にみえる効果は高いでしょう。
こんにちは。いつも大変お世話になっております。
興味深い視点だなぁと思いながら拝見していましたが、
最後のパラグラフで少しひっかりました。
「企業に根付くプロセスや価値基準を変更するというのは、容易なことではないです。10 を 11 に変えるよりも、0 を 1 にするほうが目にみえる効果は高いでしょう。」というところです。
「目に見える効果」と書かれているからには、「目に見えない効果」も意識されているんですよね? このエントリだけを読むと、「目に見えない効果も合わせた実際のところはどうなのかな?」とか、「目に見える効果が高ければいいのかな?」とか、いくつか疑問が湧いてきます。
たぶんご本人もそのへんは意識されていて、だけどまだ考えがまとまってないのかなぁ、あるいは「10 を 11 に」はまさしく「目に見える効果」を狙った粋として読むべきなのかなぁ、などと拝見しました。
個人的に興味を持っている問題ですので、このへんも含めて、また別の機会にでもそNaoyaさんの考察を読めればうれしいです。以上、手前勝手な意見でした。
[1] Posted by: ふじさわ at June 23, 2004 02:38 PM [返信]言葉足らずでしたね。
例えば長い時間をかけて形成された大きな文化を動かすっていうのは、100のパワーを使って角度を 1 度ずらすようなもの、ということです。
一方短い期間で形成された事象は 100 のパワーをかけると 90 度ぐらい動きますよね。
その動きによる影響から得られるモノがあるとおもうのですが、それを誰に対して還元してあげるかということです。例えばそれが国民全員みたいな形でマスに対するものだったとしたら 1 度ずらすよりも、90 度ずらしたほうが、みんな喜びますよね。
もちろん 1 度ずらす努力をとめてしまってはいけないのですが、他をみずしてそこだけにまい進するというのは、効果がわからずに不満を買うということにも繋がるでしょう。
といった感じです。わかりにくいかな...w
遅くにコメントありがとうございます。
うーん。ちょっと納得のいかないところがあるのですが、
持ち帰って考えてみたいと思います。
どうもありがとうございました。